\ EVERY MOMENTS /

やっと"本気"に出会いました。

就職活動って...?

 

就職活動

就活

SYUKATSU

...

 

毎日のようにこの単語を聞きます。

 

私は、大学4年の1年を中国で過ごしてました。

実際、交換留学にせよ、他の自費留学でも大学4年の時期に行く人は少ないですね。

私の友人の多くも留学経験がありますが、皆2年、3 年の時期に行き、就活に備えて日本に帰ってくるという感じでした。

 

そもそも留学に行くほとんどの人が

良い会社に就職する為という理由で海外に行っています。留学という貴重な機会が「就職活動」の下ごしらえのような存在であることにとても疑問を感じます。

 

 

それほどまでに「就職活動」を重視する理由は何なのでしょうか?

 

 

周囲の圧力

 

というのは、自分自身もとても感じています

 

皆が就活をしているから

親に良い会社に就職に就けと言われているから

新卒で就職しないと就職先が見つからなくなるから

 

 

 

そして

就活を進めていくにあたり「お祈りメール」の連発で心が折れ

一番最初に内定をもらった会社に決めた等と言う話も良く聞きます。

 

 

「本当にしたい仕事ではないけど」

 

「仕方がない」

 

 

そして就職後

何度も、友人なり、先輩なりの会社に対する愚痴を聞いたことがありますが、

 

いつも

 

「辞めたければ辞めれば良いのに」

 

と思います。

 

 

仮に、私が飲食店の社員となることが決まり、働き始め上司に対して何か不信感を抱く日が来たなら必ず、直接問いかけます。

そして変わらなかった場合私がとる行動は二択です。

 

  1. 自分がその人に代わり店を指揮したいと意気込み上りつめるか
  2. この店で働く価値はないと判断しアッサリ辞める

  

 

しかし、こういう考えというのは、どうやら少ないらしく

就職活動というイベントで篩にかけられ、やっと決まった就職。それでも尚、皆さんが気にかけるものがあります。

 

 

 

 

周囲の評判

 

 

個人的に、入社後、1年以内に辞めるという行為について、特にマイナスのイメージを抱くことはありません。新しい選択をすることは個人の自由だと思っています。

しかし、辞めれば、周囲の評価は落ち、転職先も見つかりにくいのが現状です。

 

 

会社というのは、人生の半分以上を過ごすことになるであろう場所です。

そんな重要なものをこんなにも単純な理由で決めてしまっても良いのでしょうか

 

 

 

本当は、自分が就職活動をしなかった理由を書きたかったのですが、

この日本社会の奇妙なイベントについて、疑問に思うところが長くなってしまいました。

 

 

次は、就職活動をしなかった結果どうなったのか

 

そして、1社ベンチャー企業の面接があったのでその点もふまえて

書けたらなと思います。

 

 

 

受験の次に大きなターニングポイントとなる、

就職という時期。

 

もちろん、受験でもそうですが、必ずしもその年に合格しなければならないという規定はありません。しかし、実際は「浪人」というレッテルを貼られてしまします。

 

「浪人」としてすごした時間というものは誰もが経験しているものではなく、とても魅力的だと感じます。「大卒のほうが給料が良い」という理由で進学する人がほとんどですが、あの過酷な受験を切り抜けた先の未来を自分で閉ざすのはどうなのでしょう。

 

 

 

 

私は、今もまだ、生き方というのを模索しています。

 

 

就職は決して人生のゴールではないと思っています。

 

 

人生の選択肢というものはたくさんあります。

 

 

その選択を間違ったとしても

 

 

何度でもやり直せるのが人生の醍醐味だと

 

 

私は思っています。

 

 

 

 

 

○○難民

 

難民ニュースを見るたびに

日本はいつ難民の受け入れ体制が整うのかな?

とよく考えます。

 

そりゃ、難民受け入れが進めば良いと思ってるけど、10年やそこらでは、変わってないだろうなぁとも、思います、ね。

 

政治関係、近代史の本を読むと

結構な確率最後の章は日本の難民受け入れについて書いてあることが多いです。

 

大方の著者は難民を受け入れてからの管理が大変だと、記述してありました。

 

私は、日本人の特徴の一つとして

「責任を転嫁する」という癖があると思ってます。

 

 

つまり、難民受け入れ後

必ず何かの事件、が起こると思いますが、

その加害者が、難民として日本に来た方だった場合、この政策をとるべきでなかったと世論が言い始めることでしょう。

 

 

たまたまそのニュースを見た人は

「難民」「悪」だと決めつけ

 

そして、日本がこうなってしまったのは

難民を受け入れてからだと、

日本の現状の責任を総理ではなく、難民に押し付けるようになるのではないか?と

 

そうなることも考えられます。

 

 

Searching for Syria

 

このホームページ

今日、ツイッターで知りました。

 

とても見やすい作りになっていました。

 

 

 

で、署名をするという選択ボタンを押して

色々みていたら、コノ文を見ててえ?

 

 

と固まってしまいました。

 

 

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4811人って少なくね?

 

だって大学まわっていったら集まりそうじゃないですか??

まあ、確かにこの大学3年間外で難民の署名活動してる人見かけたことなかったなぁ・・・

 

 

で、

 

若い子がよく使う、○○難民

台風で電車が動かない時は「帰宅難民」

 

 

お母様方が悩むお子様の「塾難民」

 

成人式の為に予約しようとしたら既にいっぱいで「美容院難民」

 

調べてみたらかなりあった難民ワード

 

そして、あるページにはこんなことが書いてありました。

 

 

 

○○難民にならないように、早めに情報を集める、早めに予約を入れる、お目当ての商品は店頭から消える前に早めにストックですね。
難民回避の秘訣は、“早め、早め”がポイントですね

 

 

日本人って自分が○○難民にならない為には凄く敏感なのに、本当の難民の存在には疎いんだね。

違和感感じてるの私だけですか?

 

テレビでシリアの難民のニュースが放送される以上によく聞く、○○難民

 

今日テレビから聞こえてきて

なんだかモヤっとしました。

 

 

 

上記に貼ったホームページでは

3分くらいで、難民についてが分かるようになってるので、ぜひ、とんでみてください。

 

 

 

 

 

 

                                                         Maaya

 

マイノリティとは。

少数、少数派

 

マイノリティという言葉を、最近良く耳にします。

 

 

自分の生き方、考え方、見た目全てにおいてマイノリティだと言われることがほとんどですが、正直、多数派に合わせようとしたことは一度もありません。

 

マジョリティの方がダサくね?

 

て、荒ぶってました。

 

 

そして、

「マイノリティ」な人と一緒にいると

自分も悪口を言われるからと、周りの人は離れていきました。

 

しかし、時と共に、この「マイノリティ」は

 

ある一定数の人には、羨ましいものへと変わります。

 

私のことをいじめていた人間も

偉そうに人生経験を語っていた先輩も

 

「 まあやのように、好きなことをして生きたい 」 

 

と言ってくるようになりました。

 

しかし、彼らは、結婚を選び、

縦社会で働くことを選び、

どうやって平凡を手に入れるかに重きを置いたのです。

 

そして、他人を羨ましく思う頃にはもう、後戻りできない人生のターニングポイントに立っていたのです。

 

私が彼ら、社会から受けた言葉により感じたことがあります。

 

それは、何故、

多数派の方は少数派を「弱者」だとみなすのか、ということです。

 

私は、皆が右に進む道を左に進む度に、大人から馬鹿だと、可哀想だと言われてきました。

 

なぜ、人と違う部分があれば、劣っていることになるのでしょうか?

 

政治では、少数派の意見は全く聞かず、

それに続く日本社会では、

多数派に進むことが正しい道だとされ、

寄り道することは許されず、

少数派はハブかれていきます。

 

 

このマイノリティに優しくない社会は、民主主義だからなのでしょうか?

小さい頃から、多数決で物事を決めてきた私たちは、どこかで、少数派の意見は間違っているのだと、教わってきたのでしょうか?

 

 

 

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今日、大好きなチベット本読んでいる時に

少数民族を表す単語で minority group とあって

マイノリティについて考えてみました。

 

                                  

                                                          Maaya

 

 

 

「日中友好」という幻想

 

最近、ペマ・ギャルポさんという方が書かれた、

「祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人」

という本を読みました。

 

とにかくチベットのことを調べるために、「チベット」「中国」等のキーワード検索でHITしたもののなかから、気になるものをAmazonより購入しました。

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この本で初めて知ったこと

 

 

1949年中華民国成立後すぐに計画された、チベット侵攻中国共産党軍がどのように、侵攻していったのかだけではなく、中国の巧みな政治戦略についても詳しく書かれています。

 

 

私は、高校時の夢は「日中関係を改善させること」でした。理由は単純ですが、何故隣国と仲良くできないのか、日本にも中国製品が溢れているのに何故ニュースでは悪口をいうのか疑問に思っていたからです。

 

自分の将来の夢を聞かれる度に、呪文のように「日中友好」だと唱えてきました。

しかし、この本を読み終わり感じたことは、そんな幻想をいつまでも抱いていると、日本列島も侵略されかねない、ということです。

 

果たして、日本の政治家でこの危機感を持っている人はいるのだろうか?

 

最も共感した文を紹介します。

 

国際社会の常識では"友好"とは、国家間の相互の関係が友好であることで、日本の側が友好的であれば、相手国も自然に友好的になるわけではない。特に、お互いの間に配慮の関係がないとき、一方的に日本の側が妥協したり譲歩したりしても、それは友好をもたらすよりも日本側の弱さを示すことにしかならない

 

 

つまり、日本は武器をもたない!平和が一番だ!と叫んだところで、北朝鮮がミサイルを廃止するわけでも、核兵器所持国がそれを捨てるわけでもないということです。

 

これを読んだとき、言語の勉強を日中友好の為だとほざいていた自分をこの上ない馬鹿だと思いました。

まさに日中友好という目標は、安倍政権の逃げ腰政策の表れであるのではないかと感じました。

 

 

次に知りたいこと

 

 

この二つです。大東亜会議については、書かれている本が少ないらしく、まだ探していませんが良い本があるのか分からない段階です。

(オススメがあれば教えてください)

 

 

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                                Maaya